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"StrID : 10506
"Title : 事件の舞台になった市場急配センターと金沢市中央卸売市場、山出保金沢市長について
"Cats : 2015-木梨松嗣弁護士(金沢弁護士会)に対する告訴状(被疑事実殺人未遂)のブログ版
"Tags : 告訴状の下書き
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<2015-01-04 日 10:31> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]
座談会といっても司会は一人でゲストは元市長を含め二人のようです。もう一人は直木賞受賞経験のある金沢市出身の女性作家のようです。たぶん初めて見る人で金沢市から直木賞受賞者がいたというのも今回初めて知りました。現在は軽井沢の方に住んでいるとのことです。
山出保元金沢市長の姿をテレビで見たのも市長を退任して以来初めてかと思います。何度か思い出すこともあり、いつ訃報が出てもおかしくない年齢かとも思いながら特に調べることもなかったのですが、思っていたよりは現職当時の様子とかわりなく元気そうに見えました。
私がメールなどを活用して事件の問題性を社会に訴えかけていた頃、金沢市やその関連のメールアドレスにも多数の送信をしており、金沢市のホームページでの市長へのメッセージのような投稿フォームでも問題があることをご紹介していました。その当時の市長が山出保氏です。
時刻は1月4日10時31分になっています。上記の3行は昨日の午前中、山出保元金沢市長が出演しているテレビ番組を見ながら書いたものです。
山出保元金沢市長が退任をしてから3年以上は経つように思いますが正確な時期を調べておきたいと思います。また昨日のテレビ番組の中でも20年間金沢市長を務めたと紹介されていました。いつの時点から20年というのも少し気になるところですが、平成4年あたりも含まれるのかもしれません。
山出保 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%87%BA%E4%BF%9D
上記Webページに情報がありました。任期は1990年から2010年とのことです。平成2年から金沢市長だったということになるようです。
私にとってこの山出保元金沢市長がとりわけ印象深いのは金沢中央卸売市場のホームページで、顔写真入りで挨拶を掲載していたことでした。平成15年から平成18年あたりのことかと思いますが、そのうち中央市場のホームページ自体閲覧をしなくなりました。もう何年もしていません。
金沢市中央卸売市場 http://www.kanazawa-market.or.jp/Homepage/index.html
上記が金沢市中央卸売市場のホームページになります。金沢市長のメッセージらしいものは見当たりませんでしたが、それ以上に思いもよらぬ大発見がありましたので、スクリーンショットも含め私のブログの記事としてまとめました。
"2015k_44","金沢市中央卸売市場 市場の仕組み 開設者(金沢市長)","http://hirono2015k.wordpress.com/?p=44" ←こちらです。
市長が中央市場での取引を指導監督する立場にある、ということのようです。おそらくは明文の関連法規もあってそれに基づいてのことだとは思いますが、専門家でもないのでそこに書いてあること以上の詳しいことはわかりません。
ただ、私の場合、市場に出入りする仕事を数年間やっていたという経験はあります。途中離れた時期も断続的にあるかと思いますが、昭和59年1月から平成4年4月1日までのことです。全国の市場も数多く回りました。
その経験の中で少し気になったことは、「公設市場」と名称に含まれているものがいくつかあったということです。身近なところでは同じ石川県の七尾市の市場がそうであったと記憶にあります。
市場で働く職員が公務員であるとは寡聞にして聞いたこともありませんでした。公設と名称に含まれている市場というのは比較的規模の小さいものであったような印象もあります。
金沢市中央卸売市場の場合ですが、北陸3県の市場の集積地にもなっているという印象でしたが、これは自分が行っていた運送関係の経験によるものでした。中継と呼ばれる仕事が多くあって、中には新潟中継というのもありました。多かったのは福井、高岡、富山です。
市場の施設の規模自体は福井や富山の方が大きく思えることもありましたが、集まる人やトラックの数はやはり金沢市中央卸売市場が多かったとも思います。
私の長距離トラック運転手や市場での経験は、資料にした告訴状の下書きにも結構な数書いてあると思います。対象を明確に特定するためこれ以降は「2013年6月から2014年12月に作成した告訴状の下書き」と記したいと思います。
金沢市中央卸売市場を役所と考えたことはなかったですが、地域社会に根ざし市民生活に大きな影響を及ぼす存在という理解は、それに関連した仕事をしていただけにいっそう強く意識にありました。
時刻は17時53分になっています。午後になってからはほとんど書いていないと思います。その都度ツイッターに投稿していないので、記述したのに近接した時間を確認できないのも多少は不便です。
この間、いろいろ調べたりしていて、連鎖的というか波状的に思わぬ発見もいくつかありました。インターネットを使っていてのことです。本日この項目の続きを書くかどうかはわかりませんが、いったん締めておこうと思います。Twitterにも投稿します。
<2015-01-04 日 17:57> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]
<2015-01-04 日 22:56> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]
「山田保元金沢市長について」という項目名を「事件の舞台になった市場急配センターと金沢市中央卸売市場、山出保金沢市長について」に変更しました。お名前自体を間違っていたことは夕方に気がついていました。
<2015-01-04 日 22:57> [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]
<2015-01-05 月 10:31> [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]
時刻は5日10時33になったところです。昨日の続きを書きます。金沢市中央卸売市場との関係においては平成15年のことになると思いますが、電話を掛けて、市場急配センターとの間に入って話し合いの場を取り持っていただきたいと申し出たことがありました。
なるべく立場が上の決定権のある人への取次を頼んだのですが、それも断られ、門前払いを受けたというかたちでした。電話で応対していた人は「ホリ」と名乗っていました。漢字までは尋ねなかったのですが、堀さんと考えてほぼ間違いはないだろうと思います。
話し合いの場を持つ理由や必要性についても説明をしていたと思いますが、どの程度どのような内容で話したかは現在記憶にありません。
強く印象に残っていることは、堀さんに激しい動揺が見られたことと、拒絶の態度が際立ってはっきりしていたことです。
今、インターネットで市場急配センターに対する「求意見書」というホームページを公開した後のことかと考えたのですが、それはないと気が付きました。なぜなら御庁つまり金沢地方検察庁の担当者が天山さんだったからです。天山さんには金沢市中央卸売市場のことも話していました。
私が平成13年12月31日に金沢刑務所を満期出所してから定期的に御庁つまり金沢地方検察庁に電話をするようになったのは平成14年の12月になってからだったと思います。羽咋市のアパートで生活を初めてすぐの頃であったとも記憶にあります。
検察事務官の天山さんについては項目を改めて書きたいと思いますが、その12月に電話をするようになってから対応を受けていた検察事務官で、翌平成15年3月一杯の担当でした。
天山さんの時点ではまだ「担当」という話を受けていなかったかも知れないですが、次のタウエさんからは担当と聞くようになったと思います。この担当はミヤさんまでずっと年度替わりになっていました。
ミヤさんは3年度連続の担当になったと思いますが、昨年4月からは別の担当者に変わっていました。役所の仕組みはよくわからないのですが、今は1月に入ったところなので今年度つまり平成26年度ということになるのだと思います。
天山さんが担当であった頃、頻繁に電話をしていたのは1月中であったという漠然ではありますが記憶が残っています。
とにかく金沢市中央卸売市場の堀さんの対応は、こちらが驚き戸惑うほど過剰なもので、まるで自分の心配事というか自分が抱えるトラブルに対して徹底した守りに入ったように思える反応でした。ただ事ではない危機感が伝わってきたとも言えます。
よほど事情を知るか関わりがなければ、あり得ない反応だとも考えました。
私は今までこの問題も、ときたま思い出すことがありながら、あまり深くは考えず思い返すこともなく過ごしてきたように思います。今こうやって文章として書き起こしながら振り返ってみると、漠然ではありますが、インターネットでの公開以降のことと考えていたように思います。
この辺りも項目を別にして書くべきかと迷いがありますが、この事実に伴う周辺の説明は今ここでも必要かと思います。手元に資料もなく今私の頭だけで思い出しながら書いていることですが、もう11年、12年近くも前のことになるので、正確に細かくは思い出せないところもあります。
インターネットでの公開を始めたのは平成15年の8月だったと思います。8月はお盆休みという節目もありますが、8月のいつ頃だったのかということも思い出せません。
インターネットで市場急配センターのホームページの存在を知り、それに触発を受けて数日中には公開を始めたように記憶に残っています。公開したのはさきほどの「求意見書」と題した書面でした。
それは実際に市場急配センターに郵送した書面の内容で、嫌疑に対する言い分があるのならどうぞ寄越してください、というものでした。
「求意見書」というのは再審請求の手続きで、必ずそしてそれのみ金沢地方裁判所から郵送されてくる書面の標題でした。刑事訴訟の手続きに関する法律の中で正式に使われている用語でもあると思いますし、控訴審における控訴趣意書や上告審における上告趣意書と同じようなものかと思います。
その「求意見書」と題する市場急配センターに郵送した書面に記載した日付は6月であったとも記憶にあります。そのホームページとしたHTMLファイルも探せば見つかると思いますが、何年間も見ていないので、探しだすには手間も時間もかかるかもしれません。
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